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剣道とは何か

 

 剣道は長い歴史を持っています。そのため、真剣を持って生死を賭けての勝負、武士の芸ごとの一環となったり、人間育成の方法であったり、流派として発達したり、いろいろ変化をおこして今日に至っています。

 そして剣道は老若男女問わず、そして、体力の強弱や体の大きさにあまり関係がない、つまり身体的な差がなくても行え、長く続けられる(一生できる)競技です。

 では、そんな「剣道」とはどのような武道(スポーツor競技)なのでしょうか。そして、剣道の目的と効果はどのようなものでしょうか。ここではそれを一般的にいわれていることを簡単に説明したいと思います。

1.剣道の目的

2.剣道の効果

(1)精神的な効果
(2)身体的な効果
(3)社会的な効果

礼儀について


1. 剣道の目的

 剣道をやっている人は、それぞれ何かのきっかけや目的、目標があって、剣道を始めたと思います。そして、いまもその目的・目標に向かって努力していると思います。…といってもそれほど深く考えることはないかと思います。

「剣道のあの点が好きだからやりたい」
「剣道のこの点を好きになりたいからやりたい」

というところから始めて、

「うまくなりたい」
「皆勤賞をとりたい」
「強くなりたい」
「健康になりたい」
「ストレス解消にしたい」

など些細な目標や目的でも良いと思いますので、どのような目的・目標で剣道をしようとしているのか考えましょう。そして、そのような小さな目標をこつこつと積み重ねていくのが良いとおもいます。

そして、その次に

 ・剣道の稽古は誰のためにやっているのか、
 ・剣道を続けていたら(自分が)どのようになるのか、

ということを考えて行きましょう。

でも、答は出しません。それは「答が無い」から、「答えが出しにくい」からです。
でもあえて答えると、それを見つけること自体が「剣道の目的」かも知れません。


 なお、一般的に考えられている目標・目的…例として、全日本剣道連盟では「剣道の理念(究極的な目的)」として次のように考えています。

「剣道とは、剣の理法の修練による人間形成の道である」

 つまり、剣道とは、剣道を行なうことにより人間が生まれながらにして持っている「すばらしい性格」を引き出し、それを磨き、鍛え、育てていくということです。 

それと同時に「剣道修錬(剣道を行っていく)の心がまえ」として、 

「剣道を正しく真剣に学ぶことにより、心身を練磨し、旺盛なる気力を養い、剣道の特性を通じて、礼節を尊び、信義を重んじ、誠を尽くし、常に自己の修養に努める。以って国家社会を愛して広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものである。」

と述べています。 

簡単に言うと、
剣道を正しく真剣に学ぶことにより、心や体を磨き、鍛え、元気な力を養い、剣道を通じて、礼儀と節度を尊重し、約束を破らない、人を裏切らない心を大切にし、誠意を尽くして、常に自分自身の向上のために努力し続ける。そして、全体的に国(=日本)を愛して広く人類の平和に貢献しよう、
ということです。(簡単に言っていないかもしれませんが…)

 でも、これは剣道という武道の究極的な目標として、また、スポーツとしての剣道の目的として考えられていることです。参考程度にして下さい。 

 また、剣道を行っていく心構えに「勝敗」はありません。本来の目的を外れ、剣道の目的を勝敗にさだめることは良くありません。剣道は勝ち負けへのその過程自体が目的かとおもいます。

 


 

2.剣道の効果

 「剣道をやっていて、一体何になるのだろう?」と考えたりすることがあると思います。

私の場合は「剣道が好きだから気が休まる」ですが、「何になるかなんてどうでもいいんだ」「ただすっきりするから」などといっても全く構わないかと思います。

今からお話する効果というのは、剣道の稽古を続けることによってどのような影響・効果があるかという、今日まで様々に研究された結果のお話です。なので、人によっては違った結果が出ることがあるかもしれません。また、やる人がどのような態度で、どのような方法で、どのような指導者によっても差がでてきます。

 でも、すべてにおいて大切な事は、「正しく真剣に学ぶ」という姿勢です。
それさえ忘れなければ、効果などは忘れて、ただひたすら、一生懸命に剣道に打ち込むのが良いと思います。

 剣道の稽古そのものが、集団で行う場合が多いので、先生や上手な人からの影響、下級生や下手な人からの影響、稽古の方法やきまり、試合のルールからの影響、それらの仲間・指導者・ルールから影響はうけます。それだけに多くの影響があり効果もあるわけです。

 では、剣道の、精神的な効果、身体的な効果、社会的な効果にわけて考えて行きましょう。


(1)精神的な効果

1.努力と我慢(忍耐)の習慣がつきます。

 剣道は理論より実行といわれています。こつこつと稽古を積み重ねることによって、少しずつ上達していくものです。しかも、その努力の積み重ねの途中には、つらい、苦しい、痛い、暑い、寒い、くさい(?)といったことがついてまわります。そのような、いやなことを我慢して、やめないで続けること自体が剣道の稽古ともいえます。
忍耐に忍耐を重ねての稽古での努力が、いつか必ず良い結果となって表れてきます。そしてそれが喜びとなり、自信となって、次の困難な問題に挑戦していける力となるのです。このくり返しによって、技術的にも精神的にも向上していくのです。これは剣道に限らない効果です。

それゆえ、体力が無いとか、運動神経が鈍いとかの理由であきらめないで、とにかく長く、出来るだけマイペースで続けることをお勧めします。(体力がない人も運動神経がない人も多いのですから)
それが、3年、5年、10年、20年経過すると、子供の時や初心者のころにあった劣等感などは忘れ、自信や剣道への楽しみが身についてきます。

実は、剣道大会に好成績を上げる人や、立派な指導者になられている方のお話や今までの経験を調べると、無器用だったり、常に劣等感を持っていたり、そんな人が立派な剣士に意外と(?)成長するそうです。

それは、努力と忍耐から生みだされているものなのです。言い方を変えれば、他のどのような能力(体力・スピード・運動神経など)が優れていても、忍耐と努力が不足していては剣道は発達しないといえるかもしれません。

2.集中力と決断力と自主性がつきます。

 剣道は常に1人でやるものです。ですから、自分自身という1人での戦いです。頼るものはいつも自分だけです。他の人に助けてもらうことは出来ません。試合中など絶体絶命の場に立っても自分の力で切り抜けなければなりません。

そのためには、「見る力」「判断する力」「実行する力」が必要になります。だから、稽古の時には常に神経を集中し、精神統一し、どのようなものも見逃さない、どのような音も聞き逃さない集中力を鍛える必要があるのです。

ですから、剣道を続けると、自主性が育ちます。但し、その自主性がどこかで間違ってしまいますと、「自分勝手で利己的な剣士が多い」などと、剣道以外のところ…人格から批判されることになります。
剣道をする者にとってこの点が欠点となりやすいそうです。「初心忘れべからず」…反省することを忘れず、本当の自主性とはどういうことなのかを考え続けていかなければならないのでしょうね。


(2)身体的な効果

1.正しい姿勢がつきます。

 「剣道は姿勢から」と言われているほど、その姿勢(構え)は大切なものです。そして「正しく立派な姿勢」(自然体と言っています)というのは、きれいに美しく感じられる姿でなければなりません。きれいな良い姿勢は身体的にも正しいものですし、結果的に力強いものともなります。
そのため、剣道では基礎として正しい姿勢が必要です。剣道での姿勢は医学的にも正しい姿勢(だから自然体と呼ばれるのですね)であると証明されているそうです。長年剣道を していても姿勢の悪いのは、稽古や型に何かが欠け、剣道を正しく行っていないこととなります。

.敏しょう性がつきます。

 剣道の稽古は、打つ・突く・かわすという運動の連続です。これが技の中心です。するどい注意力観察力をもって、この稽古をくり返すわけですから、自然と身のこなしが素早くなり、早く正確な動作(技)が身についていきます。

.瞬発力がつきます。

 いつ・いかなる時でも、すぐに動作ができることをねらいに稽古しているので、瞬発的な行動をすることに慣れてきます。いつでも、どのようにでも、すぐに動くことのできる身体の状態が剣道の構えですから、日常においても、いざという時に瞬間的に、変化に応じた行動がとれるようになります。

4.持久力がつきます。

 筋肉や呼吸器系の持久力がつきます。ただし、力強い筋肉が発達するのではなく、細かいことが上手にできて、持久力がある「柔らかく長持ちする」筋肉ヘと発達していきます。


(3)社会的な効果

.相手を尊重し礼儀を尊重する態度が育ちます。

 剣道は格闘技、つまり「剣術」から発達したもので、いまも闘争という形をとって行っているものです。しかし、それにこだわると勝敗を争うことだけになってしまったり、もっと悪い場合は暴力的な行動になってしまうのです。そうなると、剣道が人間を立派に育てていくという「人の道」の意味はなくなってしまいます。

 人々が、長い時間をかけて、闘いの手段「剣術」を人間形成の道「剣道」に作りあげたのです。教育として、武道として、スポーツとして、剣道を行うということは相手を尊重し、相手に礼を尽くして、剣を交えるところから成り立っているのですから、相手を打ちのめすだけでは昔の格闘技「剣術」のままで進歩したことにはなりません。
昔と違って、今は相手を認めてお互いの成長のために剣道があるのですから、相手に失礼な行動をしてはなりません。そのような点も努力するうちに、本能を調節するという能力が育っていくのです。

 また、剣道は「礼に始まり礼に終る」とよくいわれます。言われているその通りなのですが、その考えが行きすぎると、回りのことを気にしない勝手な行動となります。大きな声で挨拶をして、周りの人に威圧感や不愉快な思いを与えるようなのは礼ではありません。それは「失礼」で「無礼」なことなのです。
礼儀というのは自然ににじみ出てくる、相手を大事にする心の使い方なのです。
礼儀だけが目的のような剣道もまた本当の剣道とは言えません。剣道をする者は、本当の礼というものを考え、身につけていかなければなりません。

・礼儀について・・・

 

 一般に、礼とは「敬意を表すべき行為」として考えられています。それゆえ、礼儀とは人としてたしなむべき道=人道です。道徳面から見ても、精神的なものに重点がおかれ、心から表現された礼の道ということになります。 

 剣道では、相手と激しく打ち合うことからも、「道」を追い求める人間形成の原点としても、特に礼儀を重んじているのです。剣道では、相手に対する場合と自分自身に対する場合がありますが、相手に対しては、心から敬意を表し、尊重する心的表現として、自分に対しては、自分の良心を基本に、心を正しくしたり反省したりする内的な表れとなります。 

 このような礼儀は、初心者や子供にとっては難しいものです。そのため、まずは、「まね」から入って、それに心がついて行くように心がけるといいでしょう。目上の人に対する礼、友達への礼、そして自分に対する反省と良心に対する礼、また、道場や自分に関連する物に対する礼など、礼をきちんと指導したり把握することが大切かと思います。 

・武道はすべてに礼儀が必要です…
特に剣道などの武道は、先ほども記載しました「礼に始まり礼に終る」と言われるように、相手に対してはもちろん、規則をきちんと守る礼、正しい事を尊重し実行していく礼など、すべてが礼儀によって支えられていると言っても過言ではありません。
規則を正しく守ったり、相手を尊重するのでなければ、剣道は成り立たないのです。

 「まね」から礼儀を学ぶきっかけを作るべきと書いてありますが、その例の表現が再び心に作用して、心を正していかなければならないのです。
心のない形のみの礼は、誤った礼となってしまうのです。すなわち、動作と心は、敬意を表し再び自分に作用して、正しい人格形成を目指す働きとなるわけです。

 そして、これが一番大切なことですが、剣道で学んだ礼儀が普段の生活に十分生かされ、心身ともに定着されることが、一番大切なことなのです。
2.責任感と協調性が育ちます。

 剣道が自分自身との戦いであること、自主性が高められることは前のほうに書きました。しかし、悪い自主性ばかり育つと、協調性というのがなくなってきます。
剣道は自分にとっての問題が大きいのですが、仲間と一緒に稽古しているわけですから、自分勝手なことばかりしてはいけません。

 自分の自由を保つために他に迷惑をかけてはいけません。
言い換えれば、他人の自由を奪ってはいけません。…ここに自主性と協調性の関係が出てきます。剣道というスポーツまたは武道を実際に稽古している間に、技術的・精神的なことばかりではなく社会的な行動のしかたを身につけて行かなければなりません。稽古のきまりを守ったり、仲間と協力して掃除をしたりしている間に、実は技術以上とも言えるくらい大切な「道=社会性(道徳観)」が育てられるのです。

 剣道の目的のところをもう一度読んでみて下さい。立派な人間を作ることを目的としているわけですから、ただ「強い」というだけでは何の価値もありません。人間として立派に成長しようという努力が無くなれば、剣道をやっている意味はなくなってしまうのです。仲間を大事にし、協力して真剣に稽古に取り組むようにいつも心がけましょう。そうしているうちに自然に道徳観が養われ、みんなの中の「私」、社会の中の一社会人としての考え方が身につくのです。

3.健康と安全に対する態度が育ちます。

 この内容については、別のところで書いていますので、簡単に書きますが、剣道は相手も自分も安全に、そして健康を増すように稽古するのです。肉体的・精神的にある程度まで限界まで稽古を行い、限界を知って、限界を認識し、そしてそれに打ち勝ち、安全を認識することにより自分のものにし、さらなる限界を乗り越えていく力を身につけていくのです。剣道そのものが自分の身を守るという所から出発しているとも言えますから、健康・安全を保つことについて専門家と言えるのかもしれません。

 一般の生活においても、安全に対する神経の使い方が上手になってくることにもつながります。用心深くもなりますし、いざという時の身のこなしにも優れてきます。不注意によって怪我をしたような時は、「修行が足らん」といわれてしまうかもしれません。修行が足りないわけではありませんが、少なくとも何かしらのミス、心のスキがあったことになります。やはり、「正しく真剣に学ぶ」という姿勢でちょっとのミスも許されないといった心づもりで、稽古をする努力をしなければならないでしょう。



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