剣道は、永い歴史を経て発展してきましたので、精神面や技術面に関連した様々な言葉による「教え」があります。
剣道をやっていくうえで、また剣道の向上の支えとして、参考にしてください。(順不同)
平常心
物事に対したとき、心が動転することなく、平素(普通)の心でこれに対処すること。
剣道は対人競技なので、相手によって、自分の動作を決めることが多いです。そのため、相手の動きにいちいち応じていたのでは、一本にはほど遠いですし、気が疲れるばかりです。平常心と変らない心がまえで相手に対することが、相手の動きがよく見え、最もよいとされます。
また、平常心は、人間本来の心の状態ということで、この状態が最も道理にかなっていることでもあるのです。
不動心
「不動心」とは、どのようを場合にのぞんでも心が動かされないことをいいます。 「平常心」と同じことです。
いつもと違った状況となったとき、必ず心には変化が生じるものです。剣道の試合に出たときなど、特に平常心と違ってしまうものです。常に動揺しない心を鍛錬していこうとすることです。
無念無想
無念無想も、上の2つと同じような意味をもっています。何も念じない、何も思わない、何もとらわれないということです。「無念無想」でいたいと思っているだけでも、もはや無念無想ではない状態です。また、「「私は何も念じない」と思わない」と思っていても、「思わない」と思っているのですから無念無想ではありません。
ですが、分かりにくいので端的にいうと、自分自身に集中し、一生懸命やること、といえると思います。
残心・放心・止心
残心とは、剣道の相手に対する心がまえのことで、打突した後に心を残すことで、打突後も油断しないということです。
すなわち、なんでも、やった後まできちんと処置することで、やりっぱなしではいけないという教えでもあります。
放心とは、心をとき放すことで、一つのことに心をとらわれないことです。ちなみに、一般的には「ぼーっと」していることを指しますが、それとは違うものです。ご注意を。心が一つのことにとらわれず、自由自在の状態であれば、注意がすみずみまで行きわたり、どんな変化にも直ちに対処することができます。
止心とは、放心の逆で、心が一部分にのみ集中してしまい、全体が見えない、あるいは感じることができない状態で、相手の思わぬ動きに対して、自分の働きが鈍ってしまい、不覚な行動をとってしまいます。
これらのような心の状態にならないようにすることが大切です。
剣道四戒
剣道では、驚き、恐れ、疑い、惑う、心の状態を四戒と言っています。
驚きとは、急に予期しないことが起きて、心が動揺することです。
恐れとは、恐怖であり、はなはだしい時は精神の働きが鈍り、身体が震えて、動きを失うことになります。
疑いとは、相手を見ても心が不安定で見定めることができず、心に決断のないことです。
惑うとは、心が迷うことで、精神は昏迷(こんめい)して敏速な判断や軽快な動作ができません。
これらはどれも心の悪い状態ですが、すべて自分自身の心が作り出すものなのですから、普段から心がけることが大切です。
守・破・離
これは江戸時代の道場訓で、剣道における修行の段階をあらわしたことばで、人生の指針にもなっています。
守とは、師匠や親の教えを、ただ忠実に守って稽古に励み、修行することです。簡単にいうと「まもる」こと、「背かず従う」ことです。
破とは、今まで学んできた教えを十分体得し、自分のものにして、さらに深く進み、きわめ、新たな興味を持って、追求していく段階です。つまり、今まで先生や親の教えを守っていた段階よりも自分の力を身につけることで、「こわす」こと「やぶる」ことです。
他のいろいろな教えも学べば、それだけ自分に力がついていくわけです。
離は、破の心境よりさらに進んだ段階で、内に秘められた力が充実し、「分かれ」「はなれ」「縁を切り」、心身ともに自由自在となり、創意工夫も生まれ、剣道家として一人前になっていく段階です。
よき先輩・よき先生を選び見つけ出し、それら師の教えに馬鹿になって従い一所懸命努力することによって、次の世界を開くことです。
先
「先んずれば人を制し、おくれれば人に制せらる」という言葉があるそうです。剣道では、自分が常に主動性をとり、心でも動作でも相手より先に技をしかけていくことが大切です。相手から先にしかけられますと、自分は受けに回ってしまい、不利な状況になってしまいます。
気 合
全身に充実した気力と、心とが一致した状態で、相手に少しでも隙が生じた時には、直ちに無心で打突することができる状態を言います。
長年の苦しい稽古を経てきますと、眼と心が明らかになり、心と気力が一致して、自然のうちにいろいろな高度な技や力が出てくるのです。
勘
「そこだと言う、その字の頭を打ち、ここだと言う、この字の頭を打て」という言葉があるそうです。勘は言葉や教えだけで理解できるものではありません。稽古を重ねていくうちに感覚が集積され、その結果生まれた精神状態を言うのです。また、「稲妻のした瞬間に雷はすみ」と言われるように、勘が生ずれば、打つべき機会が鏡に映るように映じてくるものです。
正しくまじめに修業をつむことが、勘を生じる唯一の道です。
品 格
気高さ、深い美しさのようなもの。
何事によらず、正しいこと、真剣であることは気高いもので、自我を離れて無念無想の境地に達した時ほど、気品のあるものはないと思われています。
また、花の香りのように、その人の人格から自然に染み出すものが、本当の品格、本当の気品です。これは一朝一夕、すぐに身につくものではありません。
剣道でも、正しく、伸び伸びと、充実した気分で真剣に稽古を重ねることにより、次第に品格が付いてくると思います。
機 会
剣道では、稽古を重ねていくうちに、いつどこで打突したらよいのかが分かってきます。また、さらに稽古を重ねていくと、機会が勘によって分かるようになり、意識しないで思わず打突する技こそ、本当の技と言われています。
なんでも、行動しようとする機会はあるものです。適切に正しく、その機会をとらえるよう稽古することでしょう。
礼 儀
一般に、礼とは敬意を表すべき行為として考えられています。それゆえ、礼儀とは人としてたしなむべき道です。道徳面から見ても、精神的なものに重点がおかれ、心から表現された礼の道ということになります。
剣道では、相手と激しく打ち合うことからも、「道」を追い求める人間形成の原点としても、特に礼儀を重んじているのです。剣道では、相手に対する場合と自分自身に対する場合がありますが、相手に対しては、心から敬意を表し、尊重する心的表現として、自分に対しては、自分の良心を基本に、心を正しくしたり反省したりする内的な表れとなります。
このような礼儀は、初心者や子供にとっては難しいものです。そのため、まずは、「まね」から入って、それに心がついて行くように心がけましょう。
目上の人に対する礼、友達への礼、そして自分に対する反省と良心に対する礼、また、道場や自分に関連する物に対する礼など、礼をきちんと指導したり把握することが大切かと思います。
・武道はすべてに礼儀
特に剣道などの武道は、先ほども記載しました「礼に始まり礼に終る」と言われるように、相手に対してはもちろん、規則をきちんと守る礼、正しい事を尊重し実行していく礼など、すべてが礼儀によって支えられていると言っても過言ではありません。
規則を正しく守ったり、相手を尊重するのでなければ、剣道は成り立たないのです。
前に、「まね」から礼儀を学ぶきっかけを作るべきと言いましたが、その例の表現が再び心に作用して、心を正していかなければならないのです。
心のない形のみの礼は、誤った礼となってしまうのです。すなわち、動作と心は、敬意を表し再び自分に作用して、正しい人格形成を目指す働きとなるわけです。
そして、これが一番大切なことですが、剣道で学んだ礼儀が普段の生活に十分生かされ、心身ともに定着されることが、一番大切なのです。
寒稽古
1月から2月あたりの早朝に行う稽古のことです。寒い時期の一番寒い時間帯を選んで行う稽古ともいえます。期間は高校や大学など1週間から20日間ぐらいが多いようです。
寒稽古の最大の目的は、悪条件の中での修行によって、自己の能力の限界に挑戦することといえます。技能の向上をめざすなら、最も良い条件で行うのが効果的なはずです。
あえて悪条件の中を選ぶというのは、技能の向上はもちろん、それ以上に精神修行をしているのです。身体的に、精神的に、どれだけ自分に力があるのかという事を知るためです。一人ではこのような厳しい修行はなかなかできませんので、仲間や先生・先輩と共に頑張るわけです。
そして、寒稽古を終えることができたときの感激が自信となって勉強や他のことにも良い影響を与えていくことになるのです。
ちなみに寒稽古を行うときには、睡眠と休養と栄養を十分にとるよう心がけなければなりません。
暑中稽古
寒稽古の寒さを暑さに置きかえたものです。別名、土用稽古とも呼ばれています。
暑さは、気持がしっかりしていれば相当レベルの高い技術的稽古も可能でじょうずに組み入れれば効果をあげることができます。
暑いと気持ちがゆるみがちですので、興味や集中力を失わないように稽古をすることが大切です。
ちなみに暑中稽古を行うときには、睡眠と休養と栄養を十分にとるよう心がけなければなりません。また、稽古中などに適度に水分を取る必要があります。
最後に 〜いつでも対応できる剣道の教えに〜
せっかく剣道をやっているのですから、これら剣道の教えを「剣道の世界」だけと考えてはいけないでしょう。勉強する時でも、友達と遊ぶ時でも、仕事をするときにも、いつでもどこでも適応できるものなのです。(だから、剣術ではなくて剣道なんですね)
それは剣道が歴史上、生活に根ざして伝承され、生き続けてきた一つの文化財的な存在で、その要素の中には、生活や人生に対する教えが数多いのです。それも、古人たちが実際の経験を通して生まれた「教え」ですから、分かりやすく、実用的なのです。
…と、以上、主な剣道の教えをあげてきましたが、剣道を始めようとする時、また一生懸命に稽古している時、機会をとらえて考えてください。
そして共感して、一層剣道に励むようになれば幸いです。
|